恋活・婚活の迷走事情/鎌田れい監修

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「普通」という言葉をわりと私たちは安易に使ってしまいがちではありませんか?

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 『恋活・婚活の迷走事情/鎌田れい監修』ブログの管理人osuna3です。

前回のブログは、「常識」や「当たり前」について書きました。今日は「普通」という言葉についてです。

 

 

 【もくじ】

 

 

 

「普通は結婚したら夫の籍に入るでしょ」 

 

前回まで書いていた「常識」や「当たり前」という言葉同様に、その基準はなんなのかと考えてしまう言葉に「普通」があります。

 

私の経験のなかで、とくに結婚にまつわる考え方については、「普通」というあいまいな前提で話が進むことがしばしばありました。そういわれると私は反抗心がそそられてしまいます。

 

誰にとってどんな基準の「普通」なのかと。

 

昔、編集の仕事をしていました。

 

kotobank.jp

 

 その時知り合った先生が、「人間の性教育研究所」の所長をされていた山本直英先生で、性の問題と結婚については切り離せないのものなので、先生の書籍の編集会議ではよく話題になったものです。

 

その会議で元社会科の先生をされていた編集者の方の発言が、私にはとても新鮮だったのです。それは「入籍」という言葉は現代ではある意味間違っていると意見です。

 

現代の戸籍法で結婚すると、男性も女性もそれまでの戸籍から籍が抜けて、夫婦のどちらかが筆頭者となった新しい戸籍が作られます。その際、夫が筆頭者であれば夫の氏を名乗ることになり、逆であれば妻の氏になるのです。

 

だから、夫、あるいは妻の籍に入るわけではなく、夫婦どちらが筆頭者となった新しい戸籍が作られることが結婚なのであるから、入籍という言葉はそぐわないというのが元社会科の先生の弁でした。

 

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明治以降にできた戸籍制度は時代とともに変遷しています。初期の頃の戸籍法ではまだ「家制度」というものがあり、江戸時代までの武家や商家のしきたりや習慣などを色濃く残していて、江戸時代までは武家でも商家でもなかった町人や農民まで「家制度」にしばられるようになったと私は解釈しています。

 

ですので、明治の頃の結婚は、「入籍」でニュアンスがあっているのかもしれませんね。

 

元社会科の先生はさらに、歴史を知っていれば「入籍」が普遍的な普通ではないことはわかるけれど、多くの人は「入籍」という言葉が何を表わすのか考えずに、普通といっている気がするとも言っていました。

 

たしかに。

 

ただ、言葉も変遷するものなので、新しい戸籍ができて、そこに男女が籍を置くことを「入籍」と表現するなら、それはそれで良いのだと思います。

 

「婿に入る」という言葉もそう考えると、違った見え方になります。筆頭者が妻の場合、妻の氏を選択することを「婿に入る」と表現するのは、言葉の意味としては正しくないです。夫が自身の氏を名乗りたくない、あるいは妻の氏を残したいなど、夫婦それぞれにどちらの姓を名乗るか選択した結果なのであって、妻の籍へ婿として入籍するとは言えないからです。

 

おそらく、とくに妻の氏を選択する場合は、夫婦の意思だけではなく、それぞれの家族の意思等も絡んで、家を継ぐ的な事情があることが少なくないので、婿に入るという昔的な表現が残っているのだと思いますが、逆にいえば、どちらの氏を選択しても良い制度なのですから、妻の姓を選択することも「普通」の習慣としてとらえられるとよいなと、個人的に思います。

 

結婚する女性に対して男性が思っている「普通」

 

女性が結婚したら、家に入って(という言い方も微妙ですが)家事・育児するという見方は、つい最近まで、もしかしたら今でも多くの人が心のどこかで思っていたりするのではないかと思います。

 

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これは私の経験ですが、ある年上の同僚女性が、もとは技術者だったのに総務部で働いていました。

 

ところが彼女に与えられた業務はとくになく、ただ総務部に籍があるだけというかたちでした。私はあとから総務部に配属になりましたが、立場的には私の方が上司だったので、人事考課査定のときは、いつも総務部長に彼女が技術部へ戻れるように相談したりしていました。私の考えでは、技術の能力が出産によって低下するわけではないので、仕事もなく総務部にいる意味がないと思っていからです。部長ははっきりとした回答はせず、いつものらりくらりでした。

 

あるとき、同僚の元上司だった技術部のマネージャーにも同じ相談をしました。私はそのマネージャーが言ったひと言に驚きました。

 

「出産したんだから働けないでしょ?」

 

そのマネージャーの言い方には全く悪意などはありませんでした。というより、それが普通でしょ?というニュアンスで、彼女に退職を促したけど、辞めたくないといのうで、仕方なく総務部がひきとったという話でした。

 

今なら完全にブラックですよね。

 

男女雇用機会均等法が1986年に施行されましたが、多くの企業では、まだまだ実態がともなっていない時代でもありました。

 

それから企業も世間も紆余曲折を経て、女性が働ける社会を作ろうと努力し、今も努力を続けています。

 

ある意味、女性が働くのは「普通」ではなかった時代がありましたし、今なお人々の認識という意味でも男性と同様の「普通」とは言えないと思います。

 

けれど、経済的に困難でなければ、「家に入るのが普通」、経済的に困難なら「女も働くのが普通」というように、立場が変われば基準も変わる「普通」という言葉を人は安易に使いがちだと、私は思っています。

 

最近のドラマの脚本で描かれた「普通とは?」をめぐる見解

 

最近2つのドラマで「普通とは」と問いかける脚本がありました。

 

1つめは、特別養子縁組をテーマにしたドラマ、8月18日(木)のテレビ朝日「はじめまして、愛しています。」です。

 

www.tv-asahi.co.jp

 

特別養子縁組の試験養育期間中に、養子となる予定の子ども(梅田はじめ)が、幼稚園でいじめをしてる他の子どもを注意する意味で手を出したことを、親としてどう対応すればよいかと、主人公である妻(梅田美奈)が児童相談所の職員(堂本真知)に相談するシーンがありました。

 

美奈が堂本に「普通の親御さんならこういうときどうするんですか?」と問うと、堂本は真顔で「普通の親御さんって何ですか?」と返します。

 

美奈:

えっ?

堂本:

梅田さんは普通の親がやることをマネしたいんですか?はじめくんを普通の子に見せたいから幼稚園に行かせたのですか?

美奈:

そういうわけじゃないですけど。私ははじめがいじめられないで、なるべくたくさんの人に仲良くしてもらいたいだけで。

堂本:

だったら普通か普通じゃないかにこだわっても、そこに答えはないと思いますよ。

(中略)

堂本:

特別養子縁組というのは、普通の親子に対するコンプレックスを乗り越えるためにやるわけじゃありません。あくまで子どもの幸せのためにやるんです。

 

余貴美子さんが堂本を演じていますが、余さんの演技はいつもすばらしいと私は思っています。余さんの演技もあって、「普通とは」を問いかけるこのシーンに、私も考えさせられました。

 

もう1つは、「私に売れない家はない」としてどんな家も売る、女性不動産屋の物語。8月17日(水)の日本テレビ「家売るオンナ」です。 

 

www.ntv.co.jphttp://www.ntv.co.jp/ieuru/

 

主人公である天才的不動産屋(三軒屋万智)が、男性部下(庭野)が販売しようとしている不動産の隣人が「普通」の人なら、仲介が成立すると報告するシーンです。

 

庭野:

三軒屋チーフ、自分いよいよ家が売れそうです。お隣の人が普通の人だったら買うというので、これから調べてみますが、たぶん普通の人だと思うので大丈夫だと思います!

三軒屋:

普通の人とはなんだ?

庭野:

普通の人とは、変な人ではないということです。

三軒屋:

私は変な人か?

庭野:

それは・・・ちょっと変わってらっしゃるかと・・・

三軒屋:

私が変な人なら、そのお客は私の隣には住めないのか?

庭野:

えっ?

三軒屋:

だから庭野には家は売れない。

 

その後、ちょっと覗いただけで隣人がもしかしたら女装趣味の変人かもしれないと不安に思っている庭野に三軒屋はこう言います。

 

三軒屋:

お客のお隣の人が普通の人か調べろと言われ、普通とは何か、自分の狭い価値観から自分を解き放とうともせず、行動も起こさずただウジウジウジウジ悩んでいる。

(中略)

あなたたちの仕事はなんですか?

家を売ることです。

 

このドラマで私は三軒屋を演じる北川景子さんにとても興味を持ちました。今までの彼女が演じてきた感じとは少し違う感じです。

 

このブログを書いて、偶然に気づきました。「普通とは?」と問いかけるのは、どちらのドラマもまちさんです(笑)。

 

堂本真知と三軒屋万智。

 

 

結婚にまつわる「普通」、私の経験から

 

私は今のパートナーと事実婚をする前に、別の男性と1年ほど事実婚をしていました。

 

ですので、婚姻届を出してたら、離婚をしてバツイチということになります。

 

その相手と事実婚を解消した理由にはいろいろなことがあげられます。まずは自分がガキだったこと。そして事実婚について相手がちゃんと納得してはいなかったこと。

 

いつかこの件も記事にできたらと思いますが、今日は「普通」についてのエピソードを書きますね。

 

事実婚という形をとることにしたことを私の両親に話したとき、父はすぐに賛同してくれました。革新的な考え方が好きな人なので。一方で父よりは保守的な考えの母は、すぐには納得してくれませんでした。言い出したら聞く耳をもたなくなる娘なので、何も言わないという感じでした。

 

事実婚を受け入れる代わりに、披露宴はしたいという相手の意思をくんで、人前式というかたちでレストランを借り切って、立食パーティーをしました。

 

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会社関係者や友人たちにもお知らせし、当日の参加・不参加の返信ハガキをいただいたのですが、彼のお世話になった元の職場の上司が返信ハガキに次のような趣旨で不参加を知らせてきました。

 

「結婚するのが当たり前で、事実婚なんてあり得ない。それじゃ無責任でただの同棲です。そんな披露宴に参加したくない」

 

この言葉に、私も傷つきましたが、それより彼がかわいそうだとも思いました。彼と連絡できない間柄ではありませんでしたから、直接話してくだされば、彼は自分の思いをその方に伝えることができたでしょうけれど、ハガキで一方的にですから、彼も傷ついたと思います。

 

そして、このハガキをたまたま目にした母が、私にこう言いました。

 

「あなたは間違っていない。私は、あなたが法律的に結婚しないことを自分の親戚にどう話したらいいか、自分の世間体だけを気にしていた。でも、何も法律的に結婚することだけが、男女が一緒に生きていく唯一のかたちではない、と私も思う」

 

と。

 

その時私は、このひとが母親でよかったと心から思いました。母は自分の価値観から切り離して、このことは私の立場で考えてくれた。彼女の普通ではなく、私の普通を考えてくれたのだと、今では思っています。

 

最後に

 

私は言葉に対してウルサ型だと自覚しています。なので、言葉の意味や使い方でケンカすることもあります。

 

といっても、その言葉はおかしいといってケンカするのではなく、その言葉をどういう意味として使っているかと問う感じです。おそらく、ただの議論好きな屁理屈なんだと思います(汗)

 

私の持論は、「使う前提条件が違えば、同じ日本語でも意味はまったく伝わらない」です。

 

「常識」「当たり前」「普通」どれも基準が合っていない者同士が違えば、まったく違う意味になったりします。

 

それともう1つ。「常識」「当たり前」「普通」という言葉は、相手に「なぜ?」と問われても自分なりの言葉がないときの常套句になっている気がします。

 

これらの言葉を使うとき、なぜ自分は「常識」「当たり前」「普通」と思っているの、補足できるように自分は心がけたいと思っています。

 

でも、安易に「普通そうですよね~」とかブログに書いちゃいそうな危うい自分もいます。お許しを。

 

今日も最後までありがとうございました。

 

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