恋活・婚活の迷走事情/鎌田れい監修

恋愛・結婚へ向かうための考え方やコミュニケーションの持ち方などについていろいろな角度から情報を発信!!

家族や友人とケンカしたことの反省みたいなこと

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『恋活・婚活の迷走事情/鎌田れい監修』ブログの管理人osuna3です。
金曜日は戯言。時事ネタや管理人が思うことなど書いています。
【お詫び】今週水曜日の「往復書簡」記事は都合によりお休みしました。次回は8月10日を予定しています。

 

【目次】

 

 

 当たり前は人によって違うぞをテーマに書くつもりだった

 

 こんなこと当たり前と、つい上から目線でいってしまいがちですよね。とくに身近な人に対して。

 

人と意思の疎通をはかるとき、自分の考えが伝わるかどうかには発話する側の言葉の選択も大事ですし、受け取り手側の理解力も大事な要素と思います。

 

でもその言葉を選ぶとき、自分が意識せず常識・当たり前だと思っていることによって選ばれる語彙や言い回しが決まる気がしませんか?

 

初めて会う人と会話したりするときは、相手のことをよく知らないということもあって、とくに意識しなくても自然と言葉をセンシティブに選んでコミュニケートするんじゃないかなと思うんです。

 

ただ、相手を選ばず誰に対しても一様でいられる立場、気質の方をのぞいて・・・。そういう方をうらやましいと思う気持ちもありますが、私には無理です(笑)

 

そうして少しずつ相手のことを知っていって、言葉で説明しなくても伝わる共通概念みたいなものができていくという感じ。

 

でも、言外で伝わるものが一致していると思っていたら、そのうちあらためて言葉にしてみたら、実は考えてることが違っていたなんてことがはよくあるんじゃないかしら。

 

と書き始めて、今日はそんなあるあるを書きたいと思っていたのに、書いているうちに変わってしまいました。たぶん、選んだエピソードがテーマに即してなかった(汗)。なので、読み進めるとと私の考えが途中変わっていきますので、ご容赦くださいませ。

 

臨場感を共有できないってことだ

 

今回も先日の戯言で書いたBar港や( http://www.bar-minatoya.com/ )を舞台にした出来事です。

 

Bar港やは吉祥寺駅から三鷹方面へ続く井の頭通りより1本北側の中道通にあります。ある日、若い男性Yさんがお店に入ってくるなり、怒り気味に中道通で遭遇したことを話しはじめました。

 

それは、Yさんの知り合いが中道通で人に殴られたという話でした。

 

殴られた人は酔っていて、道ですれ違った人と口論になったとかで相手から殴られてしまったらしいんです。で、殴られた方は酔ってもいたので、そのまま道にぶっ倒れてしまい、殴った方はそのまま放置して行ってしまった。

 

という状況のとき、Yさんがそばを通りかかったんです。

 

当然Yさんは知り合いが倒れているわけですから、駆け寄って助け起こし、ことの顛末を聞いたのです。そして殴って放置した人に対して怒っていました。

 

その怒りにはある程度、私も同調しました。だって傷害事件ですもの。「殴った行為」については殴った方が悪いと私も感じます。でも、この件は殴られた方が酔ってからんでしまっていましたから、話を聞く限りYさんの知り合いに原因もあったと感じましたので、「そうだそうだ、殴った方が100%悪い!!」までは言えませんでした。

 

さらにYさんの非難は、殴って放置した人だけではなく、ケンカを見ていてとめなかった人たち、倒れている人を横目でみながら助けなかった人たちにも向けられました。

 

 このあたりから、私とYさんの考え方の違いが大きくなっていき、今度は私とYさんの屁理屈論争に発展してしまったのです。直接現場を見ていたYさんにとっては本当に周囲を無視して歩く人たちに腹が立ったのでしょうね。でも私はそれを同じ臨場感をもって聞いてあげることができなかった。

 

なのでYさんが非難した人たちを擁護する発言をしたのです。

 

このことによりYさんの怒りは私に向けられました。「倒れている人を助けて当たり前でしょう?」というYさんの言葉に対し「私がその場にいてその人を助けたかどうかわからない」と回答したことで完全に決裂し、しばらくYさんが口をきいてくれなくなりました(汗)

 

ちなみにYさんは、他の友人も交えた旅行で同じ部屋に雑魚寝できるほど、仲のいい友人なんですよ。

 

互いに忌憚なくいろいろ話せる相手だった。まじめなこともくだらないことも。

 

飲みにもいくし、バカも一やるし。

 

でもこの件については、「当たり前」が違っていた。この当たり前が違っていたことは事実ですが、そんなことより、そのときYさんは、私がYさんを非難しているように感じたかもしれません。私にはそのつもりはなかったのですが。

 

当たり前かどうかが原因じゃないじゃん

 

常識・非常識、当たり前と当たり前じゃないなど人と意見が違うとき、どのように自分の考えを言葉にすればよいのかということを考えてみたいと書き始めた今日のブログですが、実は違うかも。

 

この日Yさんは店に来た時点で、怒りの沸点が高かったですから、どんな言葉をつむいでも聞く耳を持たなかったのかもしれません。それにお酒も飲んでますし。もしかしたら、ホントは会社でイヤなことがあったとか、疲れていたとか、いろいろな状況がYさんにあったのかもしれないと、今気付きました。

 

だとしたら、「うんうん、そうだね。大変だったね」と、Yさんの話をいったん受け入れて聞くだけに徹していたら良かったのかもしれません。私がもう少し大人だったら良かったのかも。

 

でも基本私は違う意見でも互いに言え合えて、違うことは違うこととして受け入れて人と付き合いたいと根源的に思っているから、そのままスルーしたくなかったと・・・っていうのは言い訳で、そのときはただ言い返したかっただけ?

 

この記事を書いていて、当たり前と話す内容に反対意見があってもとくに意見は言わず、相手の話を聞くだけの友人も私にはいると思い至りました。しごく、もっともなことですが、私は意見を言う言わないを無意識に選択してます、きっと。

 

これ「言っても無駄だと思っている」という心理に近いのかもしれませんが、考え方が違っていることを前提にその人とコミュニケートしているから、考えや意見がたまにあってたりすると、すごーく盛り上がり、そうでなはときは私が聞きに徹して会話が進んでるかな。

 

空気を読むみたいなこと

 

これ、相手が身内・家族だったらどうなんでしょう。

 

例えば配偶者か親兄弟が、ただ慰めてほしいとか、ただ愚痴を聞いてほしいだけということで話したことに対して、「その考えはおかしい」、「当たり前じゃないよそんなこと」と言って話を終わらせてしまったら、ケンカになる可能性大って気がします。

 

普段、違う意見が話し合える相手だとしても、時には気持ちが腐っていたり、異常に気分が高揚していたりして、意見を受け入れられない状況のときってきっとあるよね。

 

そんなとき気持ちを察してもらえなたった一方は腹を立て、普段通りに返しただけなのにケンカになってしまったと感じた腹を立てるもう一方。

 

「そんなことわかってるよ」って、ケンカの捨て台詞によくあります。身近になれば「自分をわかってほしい」と思うのは人情ですよね。

 

毎度くだらないネタですみません。

 

今日は自分で話を複雑にしてしまい、考えがまとまらなくなってしまいました。が、もう一度考えて、次回続きを書きたいと思います。

 

拝読ありがとうごさいました。

 

 

このブログのスタンス

あなたはどっち派?というかたちの記事や時事ネタ、経験ネタを書いていきます。その記事に対しお寄せいただけるご意見などあるかもしません。ただ考え方、価値観などは違っていて当然ですので、事の善し悪しを決めるのではなく、違う考え方や価値観があることを共有できるブログに成長していきたいと思います。これからもよろしくお願いいたします。(管理人)

 

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